“猫のいる風景”がある場所
わが家の周りにはとても野良猫が多いのですが、みんな決まった家でご飯をもらっているらしく、夕方になるとそれぞれいる場所が決まっています。ボス的なホワイトの子(たぶん男の子)、ブラック&ホワイトの子(たぶん女の子)はどうやらわが家のお隣さんでご飯をもらっているようです。少し先の家では3匹のホワイトの子(たぶんみんな女の子)がご飯をもらっているようです。
ボス的な子は大きいのですが、そのほかの子は成猫でもスレンダーで小さめです。カラーはホワイト、ブラック、ブラック&ホワイトなのです。もう、「みんな親戚なんじゃないの?」というくらいその3種のカラーの猫しかいません。ときどき、発情が来た子の鳴き声が聞こえたりするので避妊去勢はしてないのでしょう。小さい子猫も見かけるので、自然繁殖をしているのだと思います。
先日も引っ越しの挨拶に同じ町内会の家をまわったのですが、玄関ドアを開けると当然のように足元から猫が家に入っていきます。それも1匹だけではなく、ぞろぞろと3匹が入っていくのです。「猫を飼っているのですか?」と聞くと、「ああ、野良だけど勝手に入ってくるのよ」との返答。そういう家が数件あり、なかには勝手に玄関のドアを開けて入ってくるという家もありました。
このあたりでは、ほとんどの人が玄関のチャイムを鳴らさずに、「こんにちは~」と扉を開けて入ってきます。猫たちも同じように入ってくるようです(笑)。みなさんそれを受け入れていて、問題が起こっている様子もなく、共存しているという印象を受けました。猫がそこにいることが自然なのです。
私は自分の幼少期を思い出しました。私は昭和の時代に「中屋」という履物屋を営む家に生まれたのですが、当時は鍵などかけることはなく、玄関だろうが勝手口だろうがいつも開いていました。お店から野良猫が家に入ってきて、廊下を歩いて裏まで行き、勝手口から出て行くのを何度も見かけました。
商店街だったので、魚屋の前にはいつも野良猫がいて、魚をさばいた後のアラを貰って、口にくわえて商店街を闊歩するのをよく見かけました。「あら、おいしそうなのを貰ったのね」と声をかける人もいました。信楽のわが家の家に周りはまさにその昭和の時代を見ているようで、なんだか心がほっこりしました。
ご飯の心配はないとはいえ、外で生活をしていればいろいろな病気にかかるリスクはあります。また、近親交配であれば遺伝的な疾患を抱えてしまうこともあるでしょう。短命に終わることもあるかもしれません。しかし、毎日を自由に生きている彼らを見ていると、その生き方も猫としてのひとつの幸せなのかもしれないと感じます。わが家の愛猫たちとはまた違う生き方ですが、人と幸せに共存していけるのなら、そんな「猫のいる風景がある場所」があってもいいのかなぁと思っています。
信楽焼には猫をモチーフにしたものが多くあります。猫とのそんな関係性があるからかもしれませんね。
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