オレンジ色の猫の毛皮の謎、遺伝学が解き明かす鮮やかな秘密
その鮮やかな色合いから、多くの人を惹きつけてやまないオレンジ色の猫。その毛色の秘密は、長年にわたり科学者たちの関心を集めてきました。そして、日本の九州大学とアメリカ・スタンフォード大学を中心とする最新の研究によって、その謎がついに明らかになりました。
この画期的な発見は、猫の遺伝学に新たな光を当てるだけでなく、私たち人間を含む哺乳類のメラニン生成メカニズムに対する理解を深める成果として注目されています。猫の毛色という一見身近なテーマから、生命の普遍的なしくみへと視野が広がっていく。そんな科学のおもしろさを紐解いていきましょう。

メラニン色素の基礎知識
哺乳動物の毛色や肌の色は、主に「メラニン」と呼ばれる色素によって決まります。哺乳類のメラニンには大きく分けて2種類あります。
ユーメラニン:黒色〜濃い茶色を作る色素
フェオメラニン:黄色〜赤っぽいオレンジ色を作る色素
たとえば人間の黒髪はユーメラニンによるもので、金髪はフェオメラニンが主体です。動物の毛色も同様で、これら2種類の色素の「量」「バランス」「体内での分布」によって多様な模様が生み出されるのです。
猫の毛色を理解するうえでも、基本的なメラニンのしくみを知っておくことは重要な出発点となります。
猫の「オレンジ色」はX染色体と深い関係がある
一般的に哺乳類では、どちらのメラニンをつくるかは「MC1R」というタンパク質によって制御されます。しかし、猫の場合はやや異なります。猫のオレンジ色の毛は、「オレンジ遺伝子座」と呼ばれるX染色体上の遺伝子領域によって制御されているのです。このオレンジ遺伝子座には以下の2つのバリアント(変異型)があります。
Oバリアント:フェオメラニンの生成を促し、オレンジ色の毛になる
oバリアント:ユーメラニンを優位にし、黒や茶色の毛になる
この遺伝子がX染色体上にあることが、猫の毛色と性別の関係を説明するカギになります。
オス猫にオレンジが多い理由と三毛猫の謎
猫を含む哺乳類では、オスがX染色体とY染色体(XY)、メスがX染色体を2本(XX)持ちます。この構造の違いにより、オレンジ色の毛が現れる確率や模様の出方が大きく変わってきます。
オス猫の場合(XY)
オス猫はX染色体を1本しか持たないため、被毛は以下のような色になります。
Oバリアントがあれば → 全身がオレンジ色に
oバリアントがあれば → 黒や灰色などの色に
このため、オレンジ色の猫の約80%がオスであるといわれています。
メス猫の場合(XX)
メス猫は2本のX染色体を持っているため、被毛は以下のような色になります。
両方がO(OO) → 全身がオレンジ色(比較的まれ)
一方がOでもう一方がo(Oo) → 三毛猫やサビ猫のようなまだら模様に
興味深いのは、片方が「O」、もう片方が「o」という「Oo」ヘテロ接合型のメス猫です。この場合、「X染色体不活性化(XCI)」と呼ばれる現象により、細胞ごとにどちらかのX染色体がランダムに働かなくなります。
その結果、体の部位ごとにオレンジの毛と黒や灰色の毛が混ざり合い、三毛猫やサビ猫のようなまだら模様が生まれるのです。さらに、白い部分は「KIT遺伝子」という別の遺伝子の働きによって制御されるため、三毛猫はオレンジ、黒、白の3色になります。
このように、三毛猫はまさに“生きた遺伝学の教材”ともいえる存在で、遺伝の奥深さを視覚的に示してくれます。特に、オスの三毛猫が非常に珍しいという遺伝学的事実は、日本における「オスの三毛猫は縁起物」という文化的価値にも繋がっています。

ついに突き止められた「ARHGAP36」遺伝子
長らく謎とされてきた猫のオレンジ遺伝子座の正体が、ようやく明らかになりました。九州大学の佐々木裕之教授のチームと、スタンフォード大学の研究者たちが、それぞれ独立に調査を進め、ついに共通の結論に達しました。
猫のオレンジ色の毛色を決定づけているのは、「ARHGAP36」という遺伝子であることが判明したのです。両チームの研究成果は、科学誌『Current Biology』に掲載され、大きな反響を呼びました。
毛色を左右するのは「遺伝子の働き方」
驚くべきことに、猫のオレンジ色の秘密を握っていたのは、ARHGAP36遺伝子そのものの構造ではありませんでした。
研究によれば、オレンジ色の猫にはこの遺伝子の非コード領域に5.1キロベース(kb)の欠失変異があり、これによってARHGAP36の活動が高まることが分かったのです。これはつまり、タンパク質の構造そのものを変えるのではなく、「どのくらい遺伝子が働くか(=発現)」が変わることで毛色が変化する、というしくみです。
この「非コード領域」の変化が見た目に大きな違いを生み出すという事実は、これまで「遺伝子の暗黒物質(ダークマター)」と呼ばれてきたゲノム領域の重要性を改めて浮き彫りにしています。
ARHGAP36がオレンジ色を生み出すしくみ
ARHGAP36は「プロテインキナーゼA(PKA)」という酵素の働きを抑える役割を持っています。PKAは本来、黒色の色素ユーメラニンの生成に関わる酵素を活性化しますが、ARHGAP36の活性が高まるとこの流れが阻害され、代わりにフェオメラニン(オレンジ色)の生成が優位になります。
実際に、オレンジ色の斑点を持つ猫の皮膚細胞を調べたところ、黒や白の斑点部分に比べて、オレンジ色の斑点ではARHGAP36の発現が著しく高いことが確認されました。
オレンジ色の猫はひとつの祖先から?
ARHGAP36遺伝子に見られる欠失変異は、世界中のオレンジ色のイエネコに共通して見られることがわかっています。つまり、この変異は複数の猫に独立して現れたのではなく、「たった1匹の共通の祖先猫」から広まった可能性が高いというのです。
これまで複数の起源があったのではと考えられていた仮説に一石を投じるものです。研究者たちは、何千年も前にこの変異を持つ1匹の猫が生まれ、その後の交配を通じてオレンジ色の毛色が広がっていったと推測しています。
特に人間との関わりが深まった時代、鮮やかな色合いが好まれて選択的に飼育されたことが、オレンジ猫の拡散を加速させたのかもしれません。
オレンジ色の猫の歴史と文化的背景
猫の祖先は中東のリビアヤマネコであり、その家畜化の歴史は、約9500年前のキプロス島での幼猫の骨の発見により、古代エジプト以前にまで遡ると考えられています。オレンジ色の猫は、その中で突然変異によって誕生したと考えられてきました。
明るい毛色は自然界では目立ちやすく、生き残るのが難しかったのかもしれません。しかし、人間が猫を家畜化しペットとして大切にするようになると、その特徴が守られ、ヨーロッパを中心に徐々にオレンジ色の猫の数が増えていきました。これは、人間と猫が互いに影響し合いながらともに歩んできた歴史の一端を示しています。
日本においては、猫が弥生時代ころから存在したと考えられていますが、オレンジ色の猫や三毛猫が文献に登場するのは室町時代以降です。日本の猫は、それ以前は白や黒、白黒が主流だったとされ、ヨーロッパからARHGAP36遺伝子に特徴のある猫が伝わったことが影響したともいわれています。こうした交易や文化交流が、動物の遺伝子プールにも影響を与えてきたことは興味深い歴史的背景です。
オレンジ色の猫は、その鮮やかで温かみのある毛色から、世界各地で様々な文化的・象徴的な意味を持ってきました。
【日本】
招き猫のモデルとなる三毛猫と同様に、オレンジ色の猫も幸運や金運、商売繁盛の象徴として親しまれています。船に乗せると福を呼び、遭難しないという言い伝えもあるほどです。
【古代エジプト】
オレンジ色の猫は太陽神ラーの化身や、豊穣と母性の女神バステトと結びつけられ、神聖な存在として崇められていました。寺院や墓所の絵画や彫刻にもその姿が刻まれています。
【ケルト神話】
猫の妖精「ケット・シー」は超自然的な力を持つ存在とされ、人語を解し魔法を操ると信じられてきました。一般的に黒猫と描写されることが多いですが、絵本などではさまざまなオレンジ色の姿で描かれます。優しく接すれば幸運をもたらすともいわれています。
【西洋の民間伝承】
中世ヨーロッパで魔女と結び付けられることもありましたが、夢でオレンジ色の猫を見ると金運やビジネス運が上がる吉兆とされることもありました。
現代では、愛らしい姿とユニークな性格で多くの人に愛されています。代表例としては、怠け者で食いしん坊の人気キャラクター「ガーフィールド」や、イギリスの首相ウィンストン・チャーチルが愛した猫「ジョック」などが挙げられます。
多くの飼い主は、オレンジ色の猫がほかの毛色の猫よりも友好的で社交的、遊び好きで愛情深いと感じています。しかし、現在のところ毛色と性格に科学的な関連性を示す明確な研究結果はありません。
こうした文化的なイメージや愛着は、人間の主観や期待から生まれたものと考えられますが、それでもオレンジ色の猫が多くの人に幸運や癒やしの象徴として愛されていることは確かです。科学を超えた、人と猫の深い絆を感じさせるエピソードといえるでしょう。
毛色が性格や健康に影響する可能性も
ARHGAP36遺伝子は皮膚での発現が確認されていますが、全身での機能や脳やホルモンを分泌する器官など他の臓器での活性化については、さらなる研究が待たれます。
この遺伝子が関与することで、オレンジ色の被毛を持つ猫は、毛色だけでなく、性格や行動傾向、さらには健康状態にも何らかの影響を受けている可能性があると考えられています。
例えば、毛色に関係するメラニンは、やる気や幸福感、運動などに関係するドーパミンと同じ原料と経路からつくられるため、メラニン量などが性格に影響があってもおかしくないという考察もされています。
まとめ
猫の毛色という、日常で何気なく目にする現象。その背後には、ここまで深い遺伝子のネットワークと、進化の歴史が隠されていました。今回の研究成果は、猫という身近な存在を通して、私たちがどれだけ「いのち」のしくみを知らないか、そして知ることでどれほど世界の見え方が変わるかを教えてくれます。
オレンジ色の猫を見かけたら、彼らの毛に秘められた壮大な科学の物語に、ちょっとだけ思いを馳せてはいかがでしょうか。