猫は怖がるとうんちをするのはなぜ? 生理学的理由と対処法
猫を飼っていると、突然の物音や見慣れない人影に驚いた猫が、その場で排便してしまうという場面に遭遇することがあります。飼い主としては、その行動が理解できず、心配になったり、あるいは単なるいたずらではないかと感じることもあるかもしれません。
しかし、この行動は決して異常なことではなく、猫が持つ自然な生理反応のひとつなのです。今回は、猫が恐怖を感じた際に排便する理由について、科学的な視点から考察します。

猫の恐怖反応とは
猫は恐怖を感じると、一般に「戦う(攻撃)」「逃げる(回避)」「すくむ(凍りつく)」という3つの本能的反応パターンを示します。これは、「戦うか逃げるか反応(fight or flight response)」と呼ばれる、動物が危険に直面した際の基本的な生存本能です。具体的には以下のような行動が典型的です。
逃げる・隠れる
逃げ道を求めて隠れたり物陰に逃げ込もうとします。例えば、急に大声やドアの開く音が聞こえたりすると、猫は慌てて部屋の隅やベッドの下など安全な場所に身を潜めようとします。
威嚇・攻撃する
隠れたり固まっても脅威が去らない場合は、威嚇のサイン(シャー、パンチ、爪出しなど)で攻撃的になることもあります。人間でいえば「最後の手段」として反撃に出るイメージです。
凍りつく(フリーズ)
追い詰められて逃げられないときには、体を縮こませて固まることがあります。耳を伏せて背中の毛を逆立て、体を低くして小さくなることで、自分の存在を消そうとする行動です。
極度に追い詰められた場合、猫は「トニックイモビリティ(擬死反応)」状態になることがあります。この状態では猫は文字どおり体が硬直して動けなくなり、心拍や呼吸が低下します。極端なストレスで意識を失うような現象で、「死んだふり」に近い反応です。このとき、排便・排尿を伴うケースも報告されています。
自律神経とストレス反応
猫の体は自律神経系によって無意識のうちにコントロールされています。自律神経系は、主に交感神経系と副交感神経系のふたつから構成されています。
副交感神経は「休息と消化」を担当し、通常はゆったりと食べ物を消化したり安静にさせたりします。一方、恐怖や強いストレスを感じると交感神経が優位になります。
交感神経が働くとアドレナリンやノルアドレナリンといったホルモンが大量に放出され、心拍数と呼吸が上昇し全身の筋肉に血液が送られます。実験的な研究では、猫に恐怖反応を引き起こすと、感情に関わる脳の領域でノルアドレナリンの活動が活発になることが示されています。
その一方で、消化器系の働きは急速に落ち込みます。このようにストレス時には消化機能が「緊急停止」し、体のエネルギーが戦闘・逃走に集中されます。結果として胃や腸の筋肉が緊張し、腸管の内容物が一気に排出されやすくなります。
つまり、恐怖反応の交感神経優位状態は、腸を空っぽにして身軽になることを後押しする生理的な反応なのです。実際、猫に限らず多くの哺乳類は極度の恐怖で膀胱や腸管を弛緩させて排泄してしまうことがあり、これが生存確率を高めると考えられています。
猫が排便してしまう生理的なしくみ
猫の体内では、脳と腸が互いに影響し合う関係「脳腸相関」にあり、感情は消化器官の機能に影響を及ぼします。これは、神経細胞、化学物質、ホルモンなどを介した双方向のコミュニケーション経路であり、消化だけでなく、気分、不安、行動にも影響を与えることが知られています。
特に、消化器系に存在する複雑な微生物群である腸内マイクロバイオームは、この脳腸相関において重要な役割を果たしており、ストレスや不安に対する猫の反応、ひいては恐怖による排便の可能性や程度に影響を与えると考えられています。
恐怖を感じた瞬間、交感神経が消化管の活動を抑制すると同時に、溜まっていた便は一気に排出されてしまうのです。これにより猫の体は軽くなり、逃走や攻撃により集中できるようになります。
また、野生下での「身を守る仕組み」としての役割も指摘されています。排泄物や肛門腺から出る独特の強い臭いは、他の動物や捕食者に対する警告・威嚇になります。
具体的には、猫が恐怖で排便すると、その糞尿や肛門周囲から出る強いフェロモンが近づく相手を寄せ付けない効果があるとされています。つまり恐怖時の排便は、体を軽くするだけでなく、ニオイで敵を遠ざける“自己防衛のサイン”の一つとも考えられるわけです。
ほかの恐怖反応との関連
恐怖反応として現れる行動は排便だけではありません。たとえば排尿の失禁もよく見られる現象です。極度の恐怖で膀胱の制御が利かなくなり、トイレ以外でおしっこをしてしまうことがあります。
また、ストレス性の過剰グルーミング(心因性脱毛)も代表的な例です。猫は自分を落ち着かせるためにグルーミングを行いますが、強い不安状態になるとやめられなくなり、同じ部位をなめ続けることで毛が抜けて皮膚を痛めてしまいます。グルーミングはエンドルフィンを分泌する作用があり、猫にとっては自分で自分をなぐさめる行為とも言えるでしょう。
さらに、逃げ場がまったくない状況ではフリーズ(硬直)反応に移行することがあります。体を硬くし目も合わせずに動かなくなる状態で、逃げられないと判断するとこの状態になることがあります。このトニックイモビリティでは、前述のように心拍や呼吸が落ち着き、同時に排便・排尿を伴う場合もあります。

恐怖反応が起こりやすい状況
恐怖反応はさまざまな環境で起こり得ますが、特に以下のような状況でよく報告されています。
動物病院への通院
動物病院や獣医師など普段とは違う環境の滞在、長時間のキャリー移動は猫に大きなストレスとなります。このようなストレスは、一時的な下痢(ゆるい便)を引き起こすこともあります。実際、病院のケージや金属台、ニオイに驚いて逃げ出せず硬直し、排泄してしまう猫は少なくありません。
大きな音・騒音
掃除機やテレビの大音量、工事の音に花火、雷などの突発的な大きな物音は、猫にとって非常に怖い刺激です。研究でも「突然の大きな音」は猫のストレス要因として報告されており、これらに驚いてトイレから飛び出し排泄してしまうケースがあります。
見知らぬ人や動物の出現
知らない人や不慣れなペット、さらには子どもの予測できない動きなども恐怖反応を誘発します。例えば遊んでいた子どもが急に違った動きをしたただけでも、猫は「危ない!」と思い込み、逃げ場がないと判断すると排泄を伴うことがあります。
そのほかの刺激
家の模様替えや反射する鏡、不思議な形状の物体など、猫が突然現れた未知のものを「危険」と認識することがあります。こうした視覚的・嗅覚的な変化にも敏感で、ストレスを感じると排泄行動が起きることがあります。
飼い主ができる予防と対処法
猫は環境の変化に敏感な生き物なので、飼い主としてできる対策はたくさんあります。まず安心できる居場所づくりが大切です。逃げ込める隠れ家(キャットタワーの箱や布製のキャリーなど)を用意し、猫が安心できる場所を確保しましょう。また、いつもと同じ食事やトイレの場所を維持し、生活リズムを変えないこともストレス低減になります。
恐怖の原因(掃除機、来客、通院など)がわかっている場合は、徐々に慣らすことが有効です。例えば掃除機なら使う音量を小さくして遠くで流す、キャリーは普段から室内に置いておいておやつを入れる、移動の際はカバーやタオルでキャリーを覆うなど、リラックスできる工夫をしましょう。無理に猫を怖がる対象に近づけるのは逆効果です。慣れないものに近づけるときは、ごく少しずつ距離を詰めておやつやおもちゃでポジティブな印象に変えていきます。
動物病院での対策も重要です。来院時は前夜から食事を少なめにし(嘔吐・排泄を避けるため)、キャリーに安心できるニオイが染み込んだベッドやタオルなどを入れておきます。待合室では静かに撫でてあげて落ち着かせるようにします。猫獣医学会(FelineVMA)でも、猫が環境変化で恐怖を感じやすいことが指摘されています。
観察と共感も大切です。猫が耳を伏せたり、体を硬くして呼吸が速くなるなどの恐怖サインを出していたら、刺激を遠ざけてあげてください。猫を叱ったり怖がる対象に無理に慣れさせようとするとかえって信頼を失い、恐怖が悪化します。むしろ、優しく声をかけて撫でてあげたり、ご褒美のおやつで安心感を与えるようにしましょう。実際、ある研究では環境ストレスを極力取り除くだけで病気の症状が改善した猫も報告されています。
まとめ
恐怖やストレスで排泄してしまう行動は、猫自身の意志とは無関係の生理的反応です。決して叱らず、猫の声に耳を傾けてあげてください。猫にとって安心できる環境づくりと段階的な慣れを通じて「ここは安全だ」と感じてもらうことが何よりの対処法です。
いつもとは違う行動を見せたときこそ、猫の体や心のサインを注意深く読み解き、必要であれば専門家の助けを借りて優しくサポートしてあげましょう。