ペットトリマー業界を変えるイノベーター

犬を飼っている人にとってペットトリマーは身近な存在であろう。最近は、猫のトリミングをする人も増えているようだ。いつも担当してくれるトリマーさんは笑顔で優しく、愛犬だけでなく、飼い主のみなさんも癒やされているのではないだろうか。

トリマーの社会的地位が低すぎる!

しかし、そんな彼らの笑顔が心からのものではないというもの事実だ。厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」を参考にすると、彼らの年収は一般的な平均収入を大きく下回っているのだ。例えば、一般的な就労者の平均的な月収は、20代で20~24万円、30代で約28~34万円となっている。それに対してトリマーは、20代で約16万円、30代で約18万円というデータがある。これは、美容師や動物看護師(20代で約18万円、30代で約20万円)と比べても低くなっている。

そして、昇給率が低いというのもトリマーが長続きしない理由ともなっている。一般的には、20代から30代になると月収は約1.4倍~1.7倍となるにの対して、トリマーの昇給率は約1.2倍となっている。さらに、給与面だけではなく、福利厚生や社会保険などの待遇面も整っていないということも聞かれる。

なぜ、そのようなことになってしまっているのか。国家資格ではなく認定資格で誰でも取得できるから、需給のバランスがとれていないから、立場が弱いからなど理由はいろいろ考えられる。しかし、最も大きいのは、より専門的な勉強ができる機会が限られていてステップアップできないということなのだ。

トリマーの地位向上のために立ち上がった

トリマーたちは真の動物好きだ。このような労働環境でも動物に向かえば自然と笑顔になる。そんなトリマーたちに仕事のよろこびを増やし、笑顔をもたらすべく立ち上がった人がいる。トリミングサロンやペットホテルを経営するALUCAの小澤由香だ。

メディカルトリマーを育成する小澤(右)

もともと小澤は、ダックスフンドのブリーダーをしながら、トリマーとしてもサービスを行っていた。しかし、当時トリマーといえば、洗う、乾かす、カットするといった単純作業をするものだった。当然、社会的地位は低く、勉強する場も、教えてくれる獣医師もいなかった。

しかし、10年ほど前に、獣医師の佐草一優が提唱した「メディカルトリマー」という考え方に出会ったことで一気に視界が開けたのだった。佐草はテレビ番組「情熱大陸」でも取り上げられたこともある再生医療に取り組む獣医師で、多くの患者を抱えていた。そんな多忙の彼が考えたのは、「ゼロから診察するのでは無駄な時間とお金がかかる。それは、ペットだけでなく飼い主にとっても負担になる。その反面、常に患者であるペットと接しているトリマーが最も状況を把握している。であるならば、彼らと連携して彼らの持つ情報を的確に報告してもらうことで、迅速に適切な処置ができる」というものだった。

そのためには、トリマーが獣医師や動物看護師に準じるくらいの勉強をしなくてはならない。しかし、当時のトリミングの専門学校などではそうしたことを教えるところがなかったのだ。それならば、協会をつくって育成すればよいということで「メディカルトリマー協会」を設立したのだった。小澤はその考えに共感し、設立当初に資格を取得し実務で活用するようになった。

メディカルトリマー協会を設立

「メディカルトリマー」ってどんな人?

メディカルトリマー協会は、トリミングだけではなく、動物病院との橋渡しをする人材の育成を目的としている。トリマーはペットの状態を見ることのできる一番身近な存在である。だからこそちょっとした変化をも見逃さず、速やかに獣医師と連携することで、疾患の早期発見、さらには治療の着手により、健康寿命を延ばすサポートができなくてはならない。

資格の取得には下記のとおり、動物の身体の仕組みや繁殖生理学、衛生・感染予防学などの基礎講座にはじまり、生態学、臨床検査、病気の対処や療法、最新の自然療法学など、獣医師や動物看護師レベルの内容になっている。これを授業型の短期集中講座(6時間+テスト)と最長1年でゆっくり学ぶ通信講座の2通りから選択する。短期集中講座は現役の獣医師が講師を勤め、毎回4人以下の少人数制でみっちり行われる。

カリキュラム講座
講座で使われるテキスト

しかし、順調だったメディカルトリマーの育成が岐路に立たされることになる。創設者の佐草が若くして他界してしまったのだ。求心力がなくなり協会の運営自体が停滞するようになった。協会存続の声が高まり、白羽の矢がたったのがメディカルトリマーの資格を取得しペットサロンやペットホテルを経営していた小澤だった。「育成の場がなくなってしまうと、トリマー業界全体も停滞してしまう」という危機感から、小澤が理事長に就任し、組織も刷新して新たな船出をしたのが今年のはじめだった。

資格取得はスタートラインにすぎない

小澤は、いままで佐草が培ってきたものをさらに進化させるために、矢継ぎ早に改革を行っている。それは、「トリマーの社会的地位を向上させることによって、トリマーが幸せになれる。幸せになったトリマーはペットとその家族を幸せにする」という信念からだ。そのために力を入れているのが、スキルアップセミナーだ。

メディカルトリマーは、資格さえ取れば終わりということでない。獣医療・ケアは日進月歩だ。常に最新の情報や知識を得る必要があるのだ。そのために、資格取得後もオーラルケアやスキンケアなどの実践的なセミナーを開催している。例えばオーラルケアと称していまだにスケーリングなどでガリガリやっているのを見かける、しかし歯磨きで出血するということ自体が獣医師法に抵触する行為なのだ。そして実際に事故になってもいる。スキルアップセミナーでは、症状別の歯磨きの仕方や、表面をキレイにするだけではなく歯周病の疑いがないのかなども獣医師がレクチャーする。

また、スキンケアセミナーでは、メディカルシャンプーやマイクロスコープの使い方、オゾン水をつかった治療補助などを教えている。いまでは薬用シャンプーも簡単にネットで購入できるようになっている。しかし、それ自体が皮膚に悪いものもあったり、かえって悪化させてしまう危険もあるので、勝手な判断で使うと大変なことになる。スキルアップセミナーでは、マイクロスコープを使って皮膚の状態を見てシャンプーの選定をする。迷ったときは、写真を元に協会の獣医師と相談しながら決めていけるのだ。

ペットサロン「peron」では、入社3年目には全員がメディカルトリマーの資格を取得する

知識による気づきが獣医師への橋渡し

小澤の経営するペットサロン「peron」では、入社3年目になると全員がメディカルトリマーの資格を取得するという。メディカルトリマーの勉強をすると、いろいろなことに気づくようになるという。実際に来店するペットの状態を見て、皮膚の赤みに気づき適切なシャンプーを使ったり、乾燥している状態から自宅での対策を促してあげられるようになった。またちょっとした膨らみも、それがどんな病気の可能性があるのかを考えるようになり、診察を促すことが普通になっているという。メディカルトリマーは、未病の段階から病気にならないように対策を講じることができる存在なのだ。それには気づきが大切ということ。そして気づきは、しっかり勉強して得た知識のみがベースになるという。

そしてメディカルトリマーの知識は、獣医師との無駄な利害関係をなくすものだ。飼い主、トリマー(トレーナー、シッター)、獣医師のエコシステムがうまく回ることで、患者であるペットにとって最適な治療をしてあげられるということになる。

メディカルトリマーは、「トリマー」という名称ではあるが、トレーナーやシッターといった人たちにも必要な資格だという。たしかに、彼らもトリマー同様、常日頃からペットに接しているので、異変にもっとも早く気づいてあげられる。そして、飼い主に対して助言したり、診察を即したりできる立場なのだ。

最近では、トリマーを中心にしてトレーナー、シッターのスクールからも声がかかっているという。そして、驚いたことに一般の飼い主の受講も増えているという。「命をあづかるという責任感が学べた」「知識を得ることでペットロスを克服して再びペットと幸せにくらしている」といった嬉しいコメントも、小澤の改革をさらに後押ししているのだろう。

メディカルトリマー育成の奮闘は続く

このように、患者・飼い主と獣医師の橋渡しとしてメディカルトリマーは着実に増えている。しかし、小澤には懸念していることもある。今国会で動物看護師を国家資格とする「愛玩動物看護師法」が可決されたのだ。そうなると、ますます動物看護師とトリマーの差が大きくなってしまう。すでに、トリマーになりたい人が減っているという。トリマーは、咬まれたり引っ掻かれたりするので大変な仕事だからだ。動物が好きだということで入ってくる若い層に対して、高い知識やスキルを身につけプロとしての意識を持たせる。付加価値をつけることで対価をもらうような仕組みをつくれないと続かない。それを埋めるのがメディカルトリマーであって、メディカルトリマーがトリマー業界の社会的地位を向上させられると、小澤は信じている。