日本は「動物に冷たい社会」?──科学が明かす「道徳低下という錯覚」と陥りやすい罠

スマートフォンを開けば、今日もまたタイムラインには胸が締め付けられるようなニュースが流れてきます。多頭飼育崩壊、心ない虐待、飼育放棄……。それらを目にするたび、私たち愛犬家・愛猫家の心には、諦念にも似た感情が湧き上がります。

「世の中、冷たい人間が増えたのではないか」
「昔はもっと、人と動物がおおらかに共存できていたのに」

動物を深く愛する人ほど、現代社会の「道徳の低下」に敏感になり、社会に対して不信感を抱きやすくなっています。しかし、ここで一度立ち止まって考えてみたいのです。その「世の中は悪くなっている」という感覚は、果たして客観的な事実に基づいているのでしょうか。

もし、その感覚が私たちの脳の働きによって生み出される「錯覚」だとしたら。そして、その錯覚こそが、愛するペットと社会との関係を、知らず知らずのうちに悪化させているとしたら──。

今回は、近年発表された心理学研究を手がかりに、私たち飼い主が陥りやすい「悲観バイアス」の正体と、そこから距離を取るために必要な視点について考察します。

最新科学が暴く「道徳低下」というイリュージョン

2023年、心理学者のアダム・マストロヤンニ博士とダニエル・ギルバート博士らの研究チームは、『Nature』誌において「道徳の低下という幻想(The illusion of moral decline)」と題した論文を発表しました。

研究チームは、60か国・数十万人規模のデータを分析。その結果、ほぼすべての国、すべての年齢層において、「数十年前と比べて、人々の親切心や正直さ、道徳心は低下している」と信じられていることが明らかになりました。

ところが、ここからが重要です。研究チームが、協力行動や親切さといった実際の行動データを検証したところ、人々の道徳的行動が長期的に低下しているという証拠は確認されませんでした。指標によっては、むしろ向上しているケースすら見られたのです。

では、なぜ私たちの感覚と、データが示す現実のあいだに、これほど大きな乖離が生まれるのでしょうか。研究では、その背景として主に二つの心理的メカニズムが指摘されています。本記事では、これらを総称して「悲観バイアス」と呼びます。

一つ目は、ネガティブな情報への偏った注目です。人間の脳は進化の過程で、「安全な情報」よりも「危険な情報」を優先的に処理するようにできています。現代ではSNSなどのネットの発達により、地理的にも統計的にも稀な出来事が、瞬時に大量に私たちの手元へ届くようになりました。

その結果、「悪い出来事が増えた」のではなく、「悪い出来事を目にする回数が増えた」だけであるにもかかわらず、社会全体が悪化しているかのように認識してしまうのです。

二つ目は、過去の記憶の美化です。私たちは過去の出来事について、、時間の経過とともに悪いことは忘れ、良いことだけを記憶に留める傾向があります。これを心理学では「フェーディング・アフェクト・バイアス」と呼びます。「今の悲惨なニュース」と「美化された過去」を比較すれば、当然ながら「昔は良かった、今はダメだ」という結論に至るのは、ある意味で自然な反応と言えるでしょう。

この二つのバイアスが組み合わさることで、私たちの脳内には「道徳が崩壊しつつある恐ろしい現代社会」という虚構が完成してしまうのです。

ペット業界における「昔は良かった」の罠

この心理的「悲観バイアス」を、ペット飼育の歴史に当てはめてみましょう。私たちはよく、「昔はおおらかで良かった」と懐かしみます。確かに、昭和の時代、犬は放し飼いが黙認され、猫は自由に出入りし、社会全体に緩やかな空気でした。

しかし、それを「動物に対する道徳心が高かった時代」と言えるでしょうか。冷静に見つめ直すと、その「おおらかさ」の裏側には、現代では看過できない現実が存在していました。

当時は、番犬として短い鎖につながれ続ける犬が珍しくなく、残飯を与えられるだけの飼育も一般的でした。フィラリア予防やワクチン接種の意識は低く、ペットの平均寿命は現在の半分程度。さらに、日本における犬猫の殺処分数は、年間100万頭を超えていた時代もあります。

一方で現在、殺処分数は環境省の統計で1万匹を下回るまで減少しました。1973年に「動物愛護管理法(動物の保護及び管理に関する法律)」が制定されて以降、度重なる改正によって、虐待への罰則強化や適正飼養の基準は着実に厳格化されています。

客観的な指標を見れば、社会全体の動物福祉に対する倫理観は、明らかに向上しています。それでも私たちが「生きづらくなった」「社会が冷たくなった」と感じるのは、意識の高まりによって、これまで見過ごされてきた問題が可視化されるようになった、いわば成長痛の側面が大きいのです。

「不信」が生み出す構造的な悪循環

筆者がここで警鐘を鳴らしたいのは、単に「前向きに考えましょう」という精神論ではありません。飼い主が「社会は冷酷だ」という誤った前提を持ち続けることがペットの生活環境に具体的な悪影響を及ぼすリスクがあるからです。

社会心理学では、他者への信頼度が低い人ほど、協力行動を取りにくくなることが知られています。これを飼い主の行動に置き換えると、いくつかの負の連鎖が見えてきます。

まず、「周囲は敵だらけだ」という思い込みは、散歩中に出会う人や他の犬への過剰な警戒につながります。飼い主の緊張はリードを通じて伝わり、犬の恐怖心や攻撃性を助長しかねません。

次に、「どうせ理解されない」という諦めは、地域コミュニティとの断絶を生みます。しかし災害時など、ペットを守る最後の命綱となるのは、近隣住民との信頼関係、いわゆるソーシャル・キャピタルです。孤立は、自ら安全網を手放す行為に等しいのです。

さらに、「周りもどうせ守っていない」という認識は、自身のマナー意識の低下を招く恐れがあります。これは割れ窓理論が示す通り、小さな規範の崩れが、より大きな無秩序を生む構造と重なります。

つまり、「社会は悪くなっている」と嘆くこと自体が、皮肉にも社会をより住みにくい場所にしてしまうのです。

情報の洪水に抗い、現実を取り戻す

では、私たちはこの悲観バイアスとどう向き合えばよいのでしょうか。飼い主として意識したいのは、「情報の選別」と「リアルの再評価」です。

SNSのアルゴリズムは、怒りや悲しみを喚起する投稿を優先的に表示する傾向があります。悲惨なニュースに触れたとき、反射的に拡散する前に、「これは事実だが、社会の全体像ではない」と一歩引いて捉える冷静さが求められます。過度なネガティブ情報の摂取は、共感疲労を引き起こし、実際に動物を助けるための気力を奪いかねません。

世界には、私たちが思う以上に「普通の親切」が溢れています。意識的にポジティブな事象に目を向けることで、脳のネガティブ・バイアスは、少しずつ矯正していくことができます。

日常の中にある「見えにくい親切」に、少しだけ目を向けてみてください。散歩に出かけたときは、スマートフォンではなく、周囲の人々の行動を観察してみるのも一つの方法です。

道を譲ってくれたドライバー。
愛犬を見て微笑みかけてくれた通行人。
他の犬の排泄物を持ち帰る飼い主。

こうした一つひとつの行動こそが、研究が示す「社会の実像」です。私たちが日常で目にする“普通の親切”は、決して例外的なものではありません。

そして、最も確実な方法は、私たち自身が社会を信頼し、良き隣人として振る舞うことです。ルールを守り、挨拶を交わし、周囲に配慮する。その姿勢は、動物が苦手な人の偏見を解く、静かで強力なメッセージとなります。

希望を持つことは、飼い主の義務である

「世の中は捨てたもんじゃない」と信じることは、単なる楽観主義ではありません。情報過多の時代を生きる飼い主にとって、それは知的な防衛策であり、ペットを守るための態度でもあります。

もちろん、課題が山積しているのは事実です。しかし、過去を美化して現状を嘆くだけでは、何も変わりません。社会全体のモラルは、確実に進化しています。その事実を正しく評価し、不必要な敵意を持たず、社会と協調してペットの居場所を作っていく。それこそが、情報過多の時代における飼い主のあり方ではないでしょうか。

愛犬や愛猫が安心して暮らせる社会は、私たちが社会を「敵」と見なすのをやめた、その瞬間から、静かに、しかし確実に広がり始めていくのです。