「飼い犬の腹部を蹴る」動画に潜むペット問題

2019年2月8日ある動画がSNSに投稿されました。近所に住む男性が“飼い主が散歩中に犬を蹴り上げている”動画を撮影し、投稿したところ、瞬く間に拡散。その翌日には動物の保護活動を行う女性が広島からクルマで6時間かけて京都に向かい、場所を特定して保護に向かったそうです。
 近隣住民からの情報で散歩ルートを特定し、家に入る直前に飼い主に保護を申し出たが、刃物を持ち出したため警察が動く事態になります。最終的には飼い主の家族の許可をとり、飼い犬を一時保護。現在も保護された施設で過ごしています。近くに住む男性のSNSの投稿から、新たな場所で生活を始めることになった飼い犬ですが、あくまでも一時保護という状況。これで安心ということにはならないさまざまな問題が潜んでいます。

実際に投稿された動画のキャプチャ

「犬のしつけは服従させる」は都市伝説のようなもの

飼い主の女性は、犬を蹴り上げたことを「虐待ではなく、しつけです」と主張をしています。このようなしつけをしたあとには、頭を撫でたりして可愛がるようにと、ペットショップの店員に教えてもらったと言っています。蹴り上げた理由は飼い犬が部屋でお漏らしをしてしまったためで、蹴ったのは今回が初めてだとも主張しています。

「確かに20年くらい前までは人間と犬には上下関係が必要であり、しつけは服従させることと考えられてきました。ただし、それは科学的な根拠があったわけではなく、いつの間にか広まった都市伝説のようなものなのです。オオカミの群れのなかには上下関係があるため、オオカミから家畜化された犬も人間との間に上下関係を求めるであろうと考えられていました。
 しかし、さまざまな研究で犬はそのような関係を求めることがなく、さらには、オオカミもその群れのなかで明確な上下関係を持たないことがわかってきました。現在のしつけの考え方は、人間と犬が信頼関係を構築することが大切で、そこには体罰などの服従はありません」
と特定非営利活動法人 日本ペットドッグトレーナーズ協会(JAPDT)理事の鹿野 正顕(かのまさあき)さんは語ります。

また、獣医師 Ph.D.(博⼠)の入交 眞巳(いりまじりまみ)さんによると、15年くらい前から動物行動学の分野でしつけに対する考え直しが行われているようです。
「最近のしつけの方法は、動物に“何をしてほしいか伝え、その行動に対して報酬を与える”ですが、 これは単に「罰はだめ、よい」という単純な話ではなく、学習理論からのアプローチなのです。 犬の学習能力は、人間の9歳児並みと高いので教えたことは理解できます。ただ、なぜ怒られたのか過去にさかのぼって理由を考えたり、理屈を考えたりする能力は人間の2歳児程度と思っていただけたらよいと思います。
 そのため、罰(叱ったり叩いたり)を与えても、怖いと思うだけで、ビクッとしてその時にやっている動作を止めるだけなのです。自分のどの行為が痛みの原因かを理解していません。
 だからこそ、「コラ!」とか「ダメ!」と叱って犬が行動を制止したら、そのあとには必ず何をしてほしかったのか教え、その行動をしたら報酬を与えます。この流れでしつけをしないと、結局は人の目を盗んで問題行動は繰り返され、根本的な解決にはなりません」

動物行動学が注目されるようになり、しつけに対する考え方も変わってきましたが、問題は今回の女性のようにペットショップの店員から教えてもらった“服従させる”という旨のしつけの方法を理由に、虐待と思われるような行為をする飼い主がいることです。蹴った場所が悪ければ、ケガをしたり命の危険にさらされるかもしれません。飼い犬に対する愛情があるとは思えない行為です。また、前出の鹿野さんによると、現在も体罰を使ったしつけをするドッグトレーナーがいるそうです。時代とともに明確化されたしつけの考え方に、現場が追い付いていない現状があるようです。

そもそもなぜ飼い犬にしつけが必要なのか?

日本での人間と犬との共生の歴史は長く、それは7000年前の縄文時代からといわれています。その時代の遺跡からは犬の形をした土製品や埋葬された犬の骨が発見され、人間と犬は相互扶助の関係であったといわれています。古くから犬の能力を利用し、使役犬として飼われることが多く、獲物を追いかけたり、回収したり、人間の必要に応じて改良をされてきたのです。犬種が多いのは、そのためだと思われます。

しかし、その歴史を持つ犬たちが、家族の一員として家のなかで人間とともに生活をするようになります。いままで使役犬として屋外でその能力を発揮してきた犬たちが、家のなかで生活をするのです。当然、人間にとって不都合な事態が起こります。あちこちで排泄をしてしまう、モノを噛んで壊してしまう、走り回ったり暴れたりしてしまう。例えば、番犬に向いている犬がよく吠える、回収犬に向いている犬が家のなかのモノをあちこちから集めてくるのは、その犬種の使役目的から考えれば当たり前の行動なのです。

それらのことから、飼い主が困らないために、飼い犬にしつけをする必要が出てきます。犬にとっては迷惑な話かもしれません。犬たちのそうした習性や行動を理解していない飼い主も多いです。それを知識として学び、深く理解していれば、虐待とみられるような体罰を与える感情は生まれないはずなのです。それこそ信頼関係を構築しながら暮らしていけるはずです。

ネグレクトも動物虐待の罪になる

2013年9月に改正施行された「動物愛護管理法 虐待や遺棄の禁止」では、愛護動物を虐待したり捨てる(遺棄する)ことは犯罪で、違反すると懲役や罰金に処せられるとしています。

・愛護動物をみだりに殺したり傷つけたもの
 → 2年以下の懲役または200万円以下の罰金
・愛護動物に対し、みだりにえさや水を与えずに衰弱させるなど虐待を行った者
 → 100万円以下の罰金
・愛護動物を遺棄したもの
 → 100万円以下の罰金

さらに「動物虐待とは、動物を不必要に苦しめる行為のことをいい、正当な理由なく動物を殺したり傷つけたりする積極的な行為だけでなく、必要な世話を怠ったり、ケガや病気の治療をせずに放置したり、充分な餌や水を与えないなど、いわゆるネグレクトと呼ばれる行為もふくまれています」としています。

動物愛護管理法 虐待や遺棄の禁止

今回、保護した女性のFacebookの投稿によると、保護したあとに夜間救急病院で診察を受けたところ、飼い犬の体に多くの問題があることが分かったそうです。重度の膀胱炎、尿路感染、腹部の腫れ(こぶし大のもの複数)、腎臓の数値高め、股関節の炎症、背骨変形(老化による)という診断でした。飼い犬は大型犬で16歳という年齢です。人間でいえば80歳を超えており、もちろん老化が原因のものもあると思います。しかし、これらの病気を治療もせず放置していたとしたら、ネグレクトである可能性も出てくるのです。

老犬は若犬以上に飼い主のケアが必要です。飼い犬が16歳であることを考えると自力で排泄をするのも難しい年齢にきているため、当然、お漏らしも想定できます。老犬に対する知識や認識の不足が、さらにこの飼い犬を苦しめることになっていたのです。飼い犬に対する愛情があれば、こんなにも多くの体の問題はなかったはずです。

ペットを飼うハードルが低すぎる

今回のような問題が起こる要因には、誰もが安易にペットを飼えてしまう日本の販売形態もあると考えます。ペットショップなどでは、代金を支払えば簡単に飼うことができます。子犬や子猫はかわいい盛りでなければ売りにくいため、母親から早い時期に離され、オークションなどを経由して店頭に並びます。そのため親兄妹などと生活しながら身に付ける社会性が育っていないことが多く、性格に問題のある個体も出てくるはずです。

前出の入交博士によると、一般的なしつけは成犬になっても可能ですが、社会化の練習は子犬の時期(3~16週齢)にしかできないとされているようです。

また、両親の遺伝的疾患の検査をしていなければ、それを継承し、問題を抱えている場合もあります。店員も“売る”ことが先行し、販売時には簡単な説明を行うだけで、ペットを飼うことの覚悟や責任、たいへんさ、その犬種・猫種の特性を理解した上でのしつけ方法などを詳しく伝えることは、ほとんどありません。そして、飼い主も事前に学び、時間をかけて準備するなど慎重に飼うことは少なく、ペットショップで見て衝動的に飼い始めることが多いという現実もまだあります。何か問題が起これば、「こんなはずじゃなかった」と思うことでしょう。そこに飼い犬に対する深い愛情があれば難なく乗り越えることができますが、そこから、虐待・遺棄などの問題に発展することもあるのです。

健全なブリーダーは、子犬や子猫を生後2~3カ月過ぎまで手元に置き、ワクチン接種を済ませ、親や兄弟姉妹とともに過ごすことで社会性を身に付けさせます。飼い主希望者と対面して、すべての面で幸せにしてくれる飼い主かどうかを慎重に精査します。巣立った後も、その子犬や子猫の生涯を通じてサポートを続けます。飼い主のSOSにもしっかりと対応するため、犬や猫が路頭に迷うことはないのです。また、多くの保護団体や保護活動をする個人においても里親に対して条件を設け、保護犬や保護猫が幸せな道を歩めるよう飼い主を厳選しています。

しかし、2018年1月の都政モニター157人の「東京都におけるペットの飼育 ペットの入手先」アンケ―トの結果は、「ペットショップで購入した」(54.8%)が約5割でもっとも高く、以下、「知り合いからもらった」(35.7%)、「拾った(捕まえた)」(15.3%)、「ブリーダーから購入した」(10.2%)などと続いています。しっかりと飼い主を精査する健全なブリーダー、保護団体や保護活動をする個人からの入手はまだまだ一般的ではないことがわかります。今回、SNSに投稿された飼い主は保護した女性に対し、「殺してやる」「お前の家を探して火をつけてやる」と常軌を逸した発言をしています。ペットを飼うハードルが高ければ、交渉段階でそのような飼い主の異変に気が付き、飼い主として“命”を託すことはないでしょう。

一時保護した飼い犬の今後は?

現行の日本の法律では犬などのペットは“モノ”として扱われます。例えば、新幹線にペットを乗せるには「手回り品きっぷ」が必要で、飛行機ではペット預かりスペースと荷物スペースは分かれているものの、航空貨物としての扱いです。“命あるもの”なのに“モノ”なのです。

今回、飼い主の夫の許可で一時的に保護したとしても“所有権の放棄”にサインをしていなければ、飼い主側に所有権があるのです。もし、飼い主が返還を要求した場合は、飼い主に返さなければなりません。動画を見る限り、飼い犬に対する愛情を感じないと多くの人が思ったはずです。飼い主に戻せば、また同じことが繰り返されるかもしれない。なんとも憤りを感じる事態なのです。

動物虐待の通報チャンネルの必要性

今回は、虐待を見つけた男性が動画を撮影し、SNSに掲載したことで炎上。その結果、保護団体の女性が動き飼い犬は保護されました。SNSを利用していたことが功を称しましたが、もしこのような虐待を見つけた場合、どこに通報すればよいのか知っている人は少ないのではないでしょうか。

現状では、動物の虐待を見つけたら警察へ連絡します(環境省においても連携を推奨しています)。ただし、警察は虐待の現場を押さえていなければ動きにくいのです。今回のように「虐待ではなくしつけ」と主張された場合、明確な基準がないために虐待かどうかの判断が難しいからです。もし警察が動かない場合は、管轄の動物愛護センターや保健所に連絡するとよいでしょう。逮捕はできなくても、都道府県知事等より改善のための勧告や命令は出すことができるからです。

また、動物愛護団体に相談してみるのもよいでしょう。今回のように保護してくれることもあるはずです。身近なところでは、動物への理解と知識の普及のため、地域の身近な相談員として都道府県ごとに委属している動物愛護推進委員に相談する方法もあります。いずれにしても大切なのは、客観的証拠(写真・動画など)を押さえて、手遅れにならないように早めに連絡することです。

ただ、根本的な解決には、動物虐待の専用通報チャンネルの必要性を感じます。イギリス(RSRCA)、オーストラリア(PSPCA)、アメリカ(ASPCA)など海外にはアニマルポリスの存在があります。動物虐待の現場に出向き、問題のある飼い主に対して注意・勧告・命令、時には教育をします。また、被害にあった動物を保護する権限も持っています。日本においては、2016年1月から兵庫県下で動物虐待事案専用相談電話「アニマルホットライン」が設置され相談に応じていますが、その動きはまだ全国に広まってはいません。

また、警察、動物愛護センター、保健所、動物愛護団体、動物愛護推進委員などが連携をし、動物虐待撲滅のために動くことも必要になります。もし連携ができていれば、今回のように京都から車で6時間かけて移動しなくても、現場に近い保護団体と協力して対応できたかもしれません。動物虐待は命にかかわる事態です。早い対応が望まれます。

兵庫県の動物虐待事案専用相談電話「アニマルホットライン」

まとめ

今回の保護に見られるように、動物愛護の精神が多くの人々に浸透しているにも関わらず、法整備が間に合っていません。“モノ”としての扱いをやめ、動物虐待のあまりに軽度である懲役や罰金を見直し、“命あるもの”として尊厳を守ることが大切です。アメリカでは動物虐待をした者に対し、懲役16年を求刑した例もあります。そこには早い段階で更生させることで、その先にある人間への虐待や殺傷事件を未然に防ぐ意図もあるといいます。命の尊さや弱いものを守る意識が薄いといわれる現代社会、その点も視野に入れながらの早急な法整備が必要とされているのは間違いないはずです。

すでに飼い主のもとに保護された犬が返還されないよう署名活動が始まっています。動物愛護の輪が法整備の速度をあげるかもしれません。