私はこれまで、実家があった神奈川県から始まり、東京都、大阪府、滋賀県、千葉県など、仕事やプライベートの変化に合わせていろいろなところに住んできました。
日本だけでなく、スペインのバルセロナでも生活したことがありました。いずれにしてもほどよく都会であり、街中であり、24時間何かが動いている場所に住んでいたのです。住居形態も戸建てから集合住宅までいろいろでした。
「都会は人間関係が希薄」だといいますが、確かにそうかなと。私は集合住宅に住んでいた際のご近所さんやお隣さんをほとんど覚えていません。
引っ越しの際に挨拶に行ったものの、普段の生活で出会うことも少なく、そのまま次に住む場所へ引っ越してしまうということを繰り返していたように思います。
唯一、覚えているのは愛犬を通じて知り合った犬の飼い主さんだけ。ご近所付き合いがあまりないことを「楽」と感じる人もいると思いますが、私はいつも「味気ない」と思っていました。
また、愛犬や愛猫との都会での暮らしは、飼育環境の健全性を追求することに限界を感じていました。特に賃貸の場合には「猫飼育可の物件が少ない」「2匹以上の多頭飼育可の物件が少ない」「家賃や敷金が高い」など、ペットと暮らすには厳しい現状があります。
また、つねに「ペットによる汚損に気を配らないといけない」「鳴き声や音などに周囲に気を配る必要がある」など、癒しを求めてペットを飼い始めたはずなのに、必要以上に神経質になっていました。
私がストレスを感じれば、人間以上に敏感な愛犬や愛猫にすぐに伝わってしまいます。このままでは私はもちろん、愛犬や愛猫にもよくないと考えていました。
私が望む「暮らし」の原点
神奈川県にあった実家は、「中屋」という商号の履物屋さんでした。商店街の中央に位置し、下駄や草履などたくさんの種類の履物を扱っていました。
右隣は乾物屋さん、左隣は牛乳屋さん、右向いはお肉屋さん、左向かいはだんご屋さん、そして正面のお向かいさんは床屋さんでした。
商店街ということもあって、ご近所付き合いが盛んでした。私は母親からお金を持たされて買い物に行くのですが、そのままだんご屋さんに上がり込んで夕食をご馳走になるなどしばしば(笑)。居心地がよかったことを記憶しています。
2階建ての実家は、1階は店舗や車庫のほか、居住空間がありました。台所から居間までの細長いスペースの床は何枚もの板がはめ込まれていて、それを外すと「縁の下」になっていました。
そこは夏も涼しく、食品を貯蔵したり、大きな樽のぬか床が置かれていました。冬にはその一部が掘りごたつになり、熾き炭を入れて足元を温めていました。
7人家族の情景はまさしく「家族団欒」。今でも鮮明に思い出されます。2階は子どもたちや両親の部屋、納戸などがありました。広さこそありましたが増築を重ねた家で、必ずしも「住みやすい家」ではありませんでした。
ただ、どこか味わいのある家でした。壊れた個所があると祖父が自ら修繕していました。私はまだ幼稚園に通うような年齢だと記憶していますが、楽しそうに作業をする祖父を傍でじっと眺めているのが好きでした。
実家では祖父母とともに暮らしていたので、お盆や正月にはたくさんの人が集まりました。餅つきをして鏡餅を、大きな鍋でおせち料理をつくり、それらは風通しのよい部屋にところ狭しと並べられていました。誰かが訪ねてくるたびに、それらの料理は重箱に詰められ客間へと運ばれていくのでした。
また、父が幼いころに兄弟姉妹とともに残した扉や壁のいたずら書き、箪笥に貼られたシール、柱に刻まれた背比べの線などがあり、私も負けじとさらに加えていきました。家のあちらこちらからそんな日々の営みが感じられたのです。
次に家を持つなら、実家のような味わい深い家がいい。祖父のようにDIYを楽しみながら、自分好みのゆとりのある家に住みたいと思ったのです。
そして、もうひとつは私が仕事の関係で15年間住んだ滋賀県の風景です。滋賀県には日本最大の面積と貯水量を持つ琵琶湖があり、周囲には緑豊かな山々や田園風景が広がっています。
仕事が休みの際にクルマで琵琶湖を一周したり、寺社仏閣を巡ったりしたものです。水と緑の豊かな自然に恵まれたこの地の風景にいつも癒されていました。そして、緑のなかにどっしりと存在する日本家屋には趣があり、そこに住む人々の営みが感じられました。
例えば、雑草を除去し、木の枝を間引き、森林の木を間伐するなど……。癒しを感じる自然も、実際には人が手を加えなければ美しく保つことはできません。自然環境を保全しながら、自然と共存する人々の暮らしを見るたびに、そこに「豊かな暮らし」を感じていたのです。
これって、愛犬や愛猫と暮らす家としても最適なんじゃないの? そう思い始めてからは「味わい深いゆとりのある家」と「豊かな自然に恵まれた地」にますます惹かれ、移住への現実味が増していきました。
「豊かな暮らし」を実現する家探し
私は、移住する3年前くらいから、ネット検索で物件情報を探していました。ターゲットは5DK以上の広めの中古戸建です。そのころはまだ漠然としていて、いろいろな物件をみていました。
ただ、ローンを組まずに購入すること、自分でDIYすることは決めていたので、金額の上限を1,000万円に設定して検索しました。
しかし、実際に探してみると、驚くほど物件情報が乏しい。建物付きだけど崩壊寸前で土地として販売されているものや雨漏りがある古家。実際に見に行くと、屋根の一部が崩壊していたり、床が抜けていたり、外壁に大きな亀裂が入っていたり……。
修繕箇所が多大で購入価格以上に修繕費用がかかりそうな物件も多数。いわゆる「古民家」もありましたが、家を支える柱が白アリの住処になっていました。「これはだめでしょ……」と絶句しました。
そして、気が付いたことがひとつ。「1,000万円までの物件は販売価格が当てにならない!」ということでした。
例えば、土地の広さや坪単価はさほど変わらないふたつの中古物件があったとします。しかし、760万円の物件よりも450万円の物件のほうが築年数も修繕箇所も少ないということが往々にしてあるのです。
もちろん、面している道路や駐車場、建物までのアプローチなどの状況も関係してきますが、1,000万円までの販売価格には売主の思いが顕著に表れているように感じました。
「家族との思いがあるので安く売りたくない」「この価格で売れなければ別荘として使えばいい」と思えば高めの販売価格になるし、「管理ができないのでできるだけ早く売りたい」「できるだけ早く売ってマンション購入の頭金にしたい」と思えば、安めの販売価格になるということです。
こうなると希望の物件を探すのはなかなか難しいかもしれない……。物件情報は売るためのもの。良くも悪くも載らない情報も多々あります。気になる物件があったら、何度でも実際に見に行くしかないと思いました。
こうして私の滋賀県での「中古物件探し」が本格化したのです。しかし、それがひたすら続くとは思っていませんでした……。