保護ウサギ200匹が物語る「多頭飼育崩壊」の惨状

[2022/10/13 6:01 am | 編集長 国久豊史]

保護ウサギ200匹が物語る「多頭飼育崩壊」の惨状

知識不足で飼育「こんなはずでは…」という例も

東洋経済オンライン | 2022/10/5

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このコーナーでは、注目ニュースに対する編集部や識者のコメントを紹介します。

これまで「多頭飼育崩壊」は、悪徳繁殖業者による無秩序な繁殖の末の現象でした。しかし、近年は一般の飼い主のケースが目に見えて増えてきたように思います。

その理由としてあげられるのが以下のようなものでした。
 ・不妊手術など適正な措置をせず飼育したため頭数が増えてしまった
 ・経済的に困窮して適正な飼育ができなくなってしまった
 ・無責任な餌やりで野良猫が居着いてしまい自然繁殖してしまった

これは、あくまでも飼い主の自己責任とされていますが、はたしてそれだけで済ませてしまえるものでしょうか。もっとも影響があると思われるのが「教育」でしょう。知っていれば防げたことも多々あると思います。無知が故に不幸な動物を生み出してしまう。この問題は根深いものだと言わざるをえません。

しかし、最近はその教育の場がどんどん少なくなっています。この記事に書かれているように、動物を飼育していない小学校が増加傾向にあるようです。そして、飼育する動物も鳥類(主にニワトリ)や哺乳類(主にウサギ)の割合が減少し、魚や両生類、昆虫などを室内で飼育する程度になっているようです。

筆者は、居住するエリアを散歩するのですが、小学校で鳥小屋やウサギ小屋施設をみたことがありません。それは外出先にある小学校でも同様です。筆者が小学生のころ、グラウンドの片隅に当然のようにあった飼育施設を目にすることがなくなりました。

幼少期に動物と接することは、情緒の安定や情操教育によいというレポートはたくさんあります。文部科学省のレポート「学校における望ましい動物飼育のあり方」でも、「子どもと動物との関係は、親しみの気持ちやなごみの心が育ち、溶け合うような触れ合い方が生まれるものである。しかし、今日の生活環境からは、自然体で触れ合うことのできる場が失われつつある。改めて、学校で生き物を飼うということについての意味や意義を考えておく必要がある」としています。

そのうえで、動物たちとの触れ合いをとおしてこそ育つ大切な教育効果を次のように定義しています。
①飼い続けることによって学ぶもの
②協力しあって共に世話をするなかで学ぶもの
③動物の固有の性質や習性の中から学ぶもの
④感動を表現し、活動を振り返ることによって学ぶもの
⑤地域の人とのかかわりのなかで学ぶもの

幼少期の経験が成人してからの考え方や行動に与える影響については、世界中で研究されています。この時期は、友だちや動植物との関わり、自然体験が大きく影響するようです。

当事者は、みな口をそろえて「こんははずじゃなかった……」「まさかこんなになるとは……」と話すといいます。これは、多頭飼育崩壊だけでなく、飼育放棄など動物飼育においてよく聞くセリフです。

もちろん、これは学校教育のだけの問題ではありません。ペット業界、特にペットの流通業者が真摯に取り組む問題でもあります。ペットショップでは、生体を販売することが目的になっているため、購入希望者に対して、ネガティブな面も含めて事前に伝えることはしません。

不幸なペットを減らすためには、飼い主教育は必須だと考えます。そのためには、販売する現場の意識改革、自治体の取り組み、さらには法改正など総合的に考えることが重要だと思うのです。

[編集長 国久豊史]